建水分神社は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分に位置する格式高い神社です。古代から金剛山の鎮守として、また楠木氏の氏神として深く崇敬されてきました。その通称は「水分神社」であり、古くから「水分大明神」や「上水分社」とも称されます。また、錦織神社(富田林市)、美具久留御魂神社(富田林市)と並び、「河内国の三水分社」として知られています。
建水分神社の本殿は三殿から成り、中殿には天御中主神が祀られています。左殿には天水分神と罔象女神、右殿には国水分神と瀬織津姫神が祀られています。このうち、天御中主神以外はすべて水神であり、水に関する神々の集合体として地域の水管理や農業において重要視されてきました。
社伝によると、崇神天皇5年(紀元前92年)に発生した飢饉を契機に、金剛山山麓に水分神が祀られたことが創建の起源とされています。その後、延長5年(927年)の延喜式神名帳にも「河内国石川郡 建水分神社」と記載されています。
元々の鎮座地は現在地より北約100mの水越川沿いでしたが、鎌倉時代末期、南朝の武将である楠木正成が赤坂城や千早城での戦いに関与したため、兵火によって社殿が荒廃しました。その後、建武元年(1334年)、後醍醐天皇の勅命により、楠木正成が現在地に本殿や拝殿を再建し、遷座しました。
戦国時代には織田信長による戦火で社殿が焼失するなどの困難がありましたが、豊臣秀吉による寄進を受けて復興しました。明治時代には近代社格制度により郷社に列格し、のちに府社に昇格しました。また、戦前には忠臣楠木正成ゆかりの神社として、多くの参拝者を集めました。
本殿は中殿、左殿、右殿の三殿で構成され、それぞれが「水分造」と呼ばれる独自の様式で建てられています。この構造は全国でも珍しく、建築上の模範とされています。1900年(明治33年)には古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現在の重要文化財)に指定されました。
元禄3年(1690年)に建立された大鳥居は、高さ7.1m、笠木の長さ10.6mと、日本有数の規模を誇ります。勅額には後醍醐天皇の宸筆「正一位 水分大明神」が掛けられ、歴史的価値が高いとされています。
4月25日の春祭は楠木正成の誕生日にちなんで「くすのきさん」とも呼ばれ、多くの参拝者で賑わいます。一方、10月第三土曜日の秋祭では、御旅所にて御神輿を中心に19台の地車が集まり、河内随一の壮大な光景を見せます。
日本海軍の戦艦金剛の艦内神社には、1930年(昭和5年)より建水分神社の御分霊が奉安されていました。これは建水分神社が国を守る象徴として信仰されたことを示しています。
建水分神社は大阪府南河内郡千早赤阪村に位置し、歴史と文化が調和した貴重な神社です。金剛山の自然とともに、訪れる人々に静かな感動を与え続けています。