叡福寺は、大阪府南河内郡太子町に位置する寺院で、太子宗の本山として知られています。聖徳太子を祀る由緒ある寺院で、「三国一の霊場」とも称される場所です。その歴史的、文化的価値から、多くの参拝者や観光客が訪れる場所です。
山号は「磯長山」で、本尊は如意輪観音です。また、新西国三十三箇所客番札所としても有名です。叡福寺の敷地内には、聖徳太子の墓所とされる「叡福寺北古墳(磯長墓)」があり、この点でも特に注目されています。
叡福寺は、聖徳太子建立の三太子の一つに数えられます。他の二つは、羽曳野市の「中の太子」(野中寺)と八尾市の「下の太子」(大聖勝軍寺)であり、叡福寺は「上の太子」と称されています。聖徳太子信仰の中心地として、太古から多くの人々に信仰されてきました。また、大阪みどりの百選にも選定され、自然環境にも恵まれた寺院です。
叡福寺の創建については諸説ありますが、寺伝によれば、聖徳太子が自らの墓所として推古天皇28年(620年)にこの地を選びました。翌年、母である穴穂部間人皇女が埋葬され、その後、聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女も追葬されたとされています。
また、約1世紀後の神亀元年(724年)には聖武天皇の発願で東院と西院が整備され、それぞれ転法輪寺と叡福寺と呼ばれるようになりました。ただし、これらの記録は正史には見られないため、史実かどうかは議論の余地があります。
平安時代には嵯峨天皇をはじめとする多くの天皇が参拝し、叡福寺は権力者からも重んじられました。承安年間(1171年 - 1175年)には平清盛の命により、子の平重盛が堂塔の修理を行っています。
この寺はまた、日本仏教の開祖たち、例えば空海、良忍、親鸞、日蓮、一遍らが参籠した場所としても知られています。
南北朝時代の貞和4年(1348年)には合戦に巻き込まれ、堂舎が炎上しました。その後、織田信長の焼き討ちや明智光秀の攻撃により甚大な被害を受けましたが、豊臣秀頼による伽藍の再建や徳川綱吉の命による修復を経て再興されました。
叡福寺北古墳は聖徳太子、母・穴穂部間人皇女、妻・膳部菩岐々美郎女の墓所として伝えられ、宮内庁により磯長墓として管理されています。この古墳は直径約55メートルの円墳で、横穴式石室を持っています。1889年(明治12年)の調査では、棺が確認されたものの、遺骸は風化して残っていなかったと報告されています。墳丘周囲は「結界石」と呼ばれる石で二重に囲まれ、2002年には保存のため整備が行われました。
境内には歴史を感じさせる建造物が数多くあります。
叡福寺には1928年に久邇宮邦彦王によって命名された美しい庭園「志南香苑」があり、四季折々の風景が楽しめます。
慶長年間(1596年 - 1615年)に豊臣秀頼が再建したとされる鐘楼は、叡福寺の歴史的建築物の一つです。
聖徳太子御廟は、その歴史的・学術的価値から多くの注目を集めています。1889年の学術調査では、古墳内部に3基の棺が安置されていることが判明しました。中央には母・穴穂部間人皇女、東に聖徳太子、西に妻・膳部菩岐々美郎女が葬られていると伝えられています。明治時代以降は一般の入場が制限され、現在では石室内を直接見ることはできません。
境内の南側には、かつて塔頭(小院)であった「西方院」が位置しています。この院は、歴史的な建造物としての価値を持つだけでなく、周辺の自然との調和が美しく、訪れる人々に安らぎを与えます。
叡福寺の近隣には、敏達天皇陵や用明天皇陵、推古天皇陵といった日本の歴史を彩る陵墓が数多く存在しています。また、小野妹子や大津皇子、源頼信、源義家といった歴史上の重要人物の墓もあり、歴史好きにはたまらないエリアとなっています。
叡福寺は、数多くの巡礼地の札所としても知られています。以下はその一部です。
8 西方院 → 客番 叡福寺 → 9 飛鳥寺
1 家原寺 → 2 叡福寺 → 3 海住山寺
20 楠妣庵観音寺 → 21 叡福寺 → 22 額田寺
5 野中寺 → 6 叡福寺 → 7 世尊寺
叡福寺は、西山国師遺跡霊場や神仏霊場巡拝の道といった札所の一部としても名を連ねています。
叡福寺に隣接する聖徳太子の御廟には、数々の不思議が語り継がれています。
南大門の南側には、聖徳太子の3人の乳母を祀る西方院があり、日本最初の尼寺として知られています。また、四季講堂であったとされる南林寺も近隣に位置します。
花山法皇は、叡福寺の僧仏眼による導きで西国三十三所を復興したと伝えられています。叡福寺は、西国巡礼とも深い関わりを持つ場所です。
大阪府南河内郡太子町太子2146
近鉄長野線「喜志駅」からコミュニティバスで「聖徳太子御廟前」下車徒歩約3分。または、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」からもアクセス可能です。
叡福寺はその歴史的背景だけでなく、美しい建築や庭園も見どころです。特に聖徳太子御廟は、歴史ファンにとって特別な場所です。また、参拝や観光の際には周辺の名所巡りも併せて楽しむと、より深い歴史体験ができます。