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岡ミサンザイ古墳(恵我長野西陵)

(おか こふん えがのながののにしのみささぎ)

岡ミサンザイ古墳は、大阪府藤井寺市藤井寺に位置する前方後円墳です。 古市古墳群の一部を構成し、世界文化遺産にも登録されています。 宮内庁では「恵我長野西陵」として、第14代仲哀天皇の陵に治定されていますが、 被葬者については様々な説があります。

古墳の概要

位置と特徴

岡ミサンザイ古墳は、大阪府東部の藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる古市古墳群の西端に位置しています。 古墳名の「岡」は地名に由来し、「ミサンザイ」は「ミササギ(陵)」が転訛したものです。 現在は宮内庁の管理下にあり、墳丘や周辺部ではこれまでに多くの発掘調査が行われてきました。

形状と構造

墳丘は全長245メートルで、全国第16位の規模を誇ります。 後円部の直径は150メートル、高さは20メートル、前方部の幅は180メートル、高さは16.6メートルです。 墳丘は中世以降に改変を受けており、元々は3段築成だったと考えられています。 周囲には幅50メートルの周濠と幅20メートルの周堤が巡らされており、周堤上には円筒埴輪が配置されています。

築造時期と被葬者

築造の背景

岡ミサンザイ古墳は、古墳時代中期の5世紀末頃に築造されたと推定されています。 当時の技術革新により、葺石の使用が停止され、新たに横穴式石室が採用された可能性が示唆されています。 これにより、従来の古墳とは異なる新しい形式の象徴的な存在となっています。

被葬者に関する説

被葬者については現在のところ明らかではありませんが、第21代雄略天皇や、倭王武(『宋書』倭国伝に記載される五王の1人)の陵墓である可能性が有力視されています。 なお、宮内庁は第14代仲哀天皇の陵として治定していますが、仲哀天皇の実在性や年代の一致が議論の対象となっています。

遺跡の歴史

岡ミサンザイ古墳は長い歴史の中で、さまざまな改修や研究が行われてきました。

主要な出来事

調査と保存

発掘調査

宮内庁や大阪府教育委員会による発掘調査が繰り返し行われており、墳丘や周辺から埴輪や周堤が発見されています。 特に2011年度の測量では、墳丘の詳細な形状が明らかにされました。

保存活動

現在、岡ミサンザイ古墳は宮内庁の管理下にあり、その文化的価値を後世に伝えるための保存活動が進められています。 周辺地域も整備が進められており、訪問者が歴史を学びやすい環境が整備されています。

アクセス情報

岡ミサンザイ古墳は藤井寺市に位置し、公共交通機関や車でアクセス可能です。 周辺には他の古墳や歴史的名所も多く、散策コースとしても人気があります。

まとめ

岡ミサンザイ古墳は、日本の古墳文化の重要な遺産であり、その規模や歴史的意義から多くの注目を集めています。 発掘調査や保存活動を通じて、さらなる発見が期待されるこの場所をぜひ訪れ、歴史のロマンに触れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
岡ミサンザイ古墳(恵我長野西陵)
(おか こふん えがのながののにしのみささぎ)

富田林・河内長野

大阪府