仲ツ山古墳(仲津山古墳)は、大阪府藤井寺市沢田に位置する古墳で、形状は前方後円墳です。この古墳は、世界文化遺産に登録されている古市古墳群を構成する重要な遺跡の一つです。
宮内庁により「仲津山陵」として、第15代応神天皇の皇后・仲姫命の陵墓に治定されています。ただし、これについては異論もあり、実際の被葬者については明らかではありません。
また、2021年には周堤が国の史跡に指定されるなど、その歴史的価値が高く評価されています。
仲ツ山古墳は、古市古墳群の北部に位置し、誉田御廟山古墳の北東にあります。全長290メートル、後円部径170メートル、高さ26.2メートル、前方部幅193メートル、高さ23.3メートルという規模を誇り、古市古墳群の中で2番目、全国でも9番目の大きさです。
墳丘は三段築成で、表面には葺石が施され、埴輪も確認されています。さらに、くびれ部の両側には「造り出し」と呼ばれる構造があり、古墳時代の建築技術がうかがえます。
出土品としては勾玉が知られており、墳丘外堤外法面には葺石が施されていることが発掘調査で判明しました。出土した埴輪の特徴から、4世紀末から5世紀前半の築造と推定されています。これにより、仲ツ山古墳は古市古墳群の中でも古い時期の前方後円墳に位置づけられます。
宮内庁は、この古墳を第15代応神天皇の皇后・仲姫命の陵墓として指定しています。しかし、考古学的な証拠は未確定であり、古墳の規模や構造から別の説も提唱されています。
第14代仲哀天皇の陵墓である可能性も指摘されています。仲ツ山古墳の築造年代や記録上の記述から、仲哀天皇が葬られた「長野陵」に該当するとする説が有力です。一方で、仲哀天皇の実在そのものに疑問を呈する意見もあり、さらなる研究が求められています。
仲ツ山古墳は、その規模や構造から、河内地方における初期の大王陵の一つと見なされています。白石太一郎氏は、この古墳を河内に造営された最初の大王墳と考え、古代日本の政治的中心地の移り変わりを理解する上で重要な手がかりとしています。
仲ツ山古墳は、2021年に周堤が国の史跡に指定され、さらに世界文化遺産「古市古墳群」の一部として登録されています。これにより、国内外でその歴史的価値が広く認知されるようになりました。
仲ツ山古墳は、日本の古代史や文化的背景を知る上で非常に重要な遺跡です。その規模や築造技術、被葬者を巡る議論など、学術的な関心が高く、今後も研究が続けられることが期待されます。訪れることで、古代日本の歴史を身近に感じることができるでしょう。