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二子塚古墳

(ふたごづか こふん)

二子塚古墳は、大阪府南河内郡太子町山田に位置する、国の史跡に指定された古墳です。磯長谷古墳群の一部を構成するこの古墳は、形状が珍しい「双方墳」であることが特徴です。大阪府南東部の二上山山麓に築造され、天皇陵クラスの古墳としてその歴史的・考古学的な重要性が評価されています。

古墳の概要

二子塚古墳は、7世紀後半頃の古墳時代終末期または飛鳥時代に築造されたと考えられています。その特徴的な形状である双方墳は、北東-南西方向に並ぶ一辺約25メートルの方墳2基が連接されており、全体の墳丘長は東西約66メートルに達します。埋葬施設としては、横穴式石室が東西の墳丘に1基ずつ設置され、内部には家形石棺が収められています。

立地と構造

立地

金剛山地から伸びる台地状の丘陵に築かれた二子塚古墳は、風景的にも周辺の古墳と調和しており、訪れる人々に歴史的な趣を感じさせます。この地域一帯は、磯長谷古墳群の中心地として古代の重要な墓所でした。

墳丘の構造

墳丘は3段築成され、石室上には版築状の盛土が施されています。墳丘周囲には敷石や周溝が確認されており、終末期の古墳特有の急斜面が見られます。東墳丘と西墳丘はそれぞれ独立した埋葬施設を持ちながらも一体化した形状で、合葬という終末期の新しい風習を反映していると考えられます。

埋葬施設

石室の特徴

二子塚古墳の埋葬施設は、東西にそれぞれ横穴式石室が1基ずつ存在します。これらの石室は南西方向に開口し、内部には漆喰が塗られています。石室の側石には精巧に加工された石材が使用され、隙間には礫石が充填されています。

家形石棺

石室内には二上山凝灰岩製の刳抜式家形石棺が設置されています。この石棺は、蓋石の形状がカマボコ状で、縄掛突起が退化しているのが特徴です。残念ながら、石棺内からは遺物がほとんど検出されていません。

歴史と調査

江戸時代からの記録

二子塚古墳は江戸時代の『河内名所図会』にも記載されており、地域の人々に古くから知られていました。しかし、古墳は度重なる盗掘を受け、埋葬品の多くが失われています。

戦後の調査と発掘

戦後に墳丘や石室の調査が進められ、1958年には『河内二子塚調査概報』が刊行されました。さらに、2016年度以降には太子町教育委員会による発掘調査が行われ、古墳の新たな発見や詳細な構造が明らかにされました。

国の史跡指定

二子塚古墳は1956年に国の史跡に指定され、2019年にはその範囲が追加指定されました。これにより、古墳の保存と公開が進められ、多くの観光客や歴史愛好家が訪れる場所となっています。

訪れる際のポイント

周辺の観光スポット

二子塚古墳周辺には、推古天皇と竹田皇子の陵墓とされる山田高塚古墳をはじめとする磯長谷古墳群が点在しています。これらを巡ることで、古代日本の歴史をより深く感じることができるでしょう。

アクセス情報

二子塚古墳へのアクセスは、大阪府南河内郡太子町を拠点に公共交通機関や車を利用するのがおすすめです。事前に観光案内所で情報を確認するとスムーズに訪れることができます。

まとめ

二子塚古墳は、形状や歴史的背景から非常に貴重な古墳です。その特異な構造や考古学的な価値はもちろん、周辺の古墳群とともに訪れることで、古代日本の文化や埋葬の変遷を体感することができます。歴史に興味のある方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

Information

名称
二子塚古墳
(ふたごづか こふん)

富田林・河内長野

大阪府