飛鳥戸神社は、大阪府羽曳野市飛鳥に位置する歴史ある神社です。この神社は、式内社(名神大社)に列せられた由緒正しい神社であり、旧社格は村社に位置づけられています。
飛鳥戸神社は、地元では長い歴史と伝統を誇る神社として知られています。所在地である羽曳野市飛鳥は、古代の歴史や文化が色濃く残る地域で、神社の存在は地域の文化的な中心地としての役割を果たしてきました。
飛鳥戸神社の現在の祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)です。この神は、江戸時代に祭神とされていた牛頭天王が神仏分離の際に素盞嗚命へ改められたものです。
元来、この地は5世紀頃に渡来した百済王族・昆伎王の子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)一族の居住地でした。当初は、飛鳥戸造一族の祖神として昆伎王が祀られていたと考えられています。
『三国史記』百済本紀によれば、昆伎王は熊津時代の始めに百済で没したとされており、その子孫が日本に定住したと考えられます。周辺には飛鳥戸造氏族の墓域とされる新宮古墳群(横穴式石室)も存在します。
飛鳥戸神社の創建時期は不詳ですが、最古の記録は『日本三代実録』貞観元年(859年)8月13日の条に見られます。この記録では、正四位下の神階が授けられたとされています。
延喜式神名帳には「河内国安宿郡 飛鳥戸神社」と記され、名神大社としてその重要性が認められています。江戸時代まで、神社には神宮寺として行基が開基した常林寺が隣接し、聖武天皇の勅願所として崇敬を集めていました。
明治時代初頭には村社に列格しましたが、明治41年(1908年)に近隣の八幡神社(現 壺井八幡宮)に合祀されました。その後、昭和27年(1952年)に分祀され、旧社地の近くに再建されています。
飛鳥戸神社は、歴史的にも文化的にも重要な役割を果たしてきました。古代の百済王族の子孫による信仰がこの神社の起源とされ、その後の歴史の中で地域社会と密接に関わりながらその役割を果たしてきました。
特に、神仏習合時代の影響や神仏分離後の変遷など、日本の宗教文化の変化を反映する興味深い例とも言えます。
飛鳥戸神社へは、近畿日本鉄道南大阪線上ノ太子駅で下車することでアクセス可能です。駅から神社までは徒歩数分程度で到着します。
神社の周囲には、飛鳥戸造氏族の遺跡とされる新宮古墳群や、その他の歴史的スポットが点在しています。訪れる際には、地域全体を巡ることで、より深い歴史的理解が得られるでしょう。
飛鳥戸神社は、古代から続く伝統を現在に伝える貴重な存在です。歴史的背景や周辺の文化財とともに訪れることで、大阪府羽曳野市の魅力を存分に感じることができるでしょう。