1911年に「北浜の風雲児」と呼ばれていた株式仲買人・相場師の岩本栄之助が寄付した当時の100万円(現在の数十億円に相当)によって建設が始まり、1918年に中央公会堂は完成し、オープンしました。
建設デザインは、建築設計競技によって当時29歳だった岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれ、その岡田のデザイン原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計をおこないました。辰野金吾は東京駅の建築家でも知られています。
一方、株式仲買人の岩本栄之助は第一次大戦による株式相場の大変動で大きな損失を出し、中央公会堂の完成を見ないままピストル自殺しました。
大阪市中央公会堂は、ロシア歌劇団の公演や、アルベルト・アインシュタインやヘレン・ケラー、ガガーリンなどの著名人の講演にも使用されており、災害後の慰霊祭の式場としても使われたことがあります。