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高津宮

(こうづぐう)

仁徳天皇を祀る大阪の古社

大阪市中央区に鎮座する高津宮は、古くから地元の人々に「高津さん」の愛称で親しまれてきた由緒ある神社です。旧社格は府社、現在は神社本庁の別表神社として位置づけられています。仁徳天皇を主祭神とし、豊かな伝統と文化が息づくこの場所は、大阪の歴史を今に伝える貴重な存在です。

祭神

高津宮の祭神には、仁徳天皇を主とする歴代の天皇や皇族が祀られています。これらの神々は、それぞれに由緒深い歴史を持ち、長く地元の信仰を集めてきました。

主祭神

歴史

高津宮は、貞観8年(866年)、清和天皇の勅命によって難波高津宮の遺跡が発見されたことを機に、仁徳天皇を祀るために創建されました。その後、天正11年(1583年)には、豊臣秀吉が大坂城を築く際に現在の場所へ遷座し、比売古曽神社を摂社として併せて祀ることとなりました。

明治5年(1872年)には府社に列格され、昭和20年(1945年)には大阪大空襲により社殿が焼失しましたが、昭和36年(1961年)に再建され、現在も多くの人々の参拝を受け入れています。

文化的な影響

高津宮は、大阪の伝統的な文化と深く結びついています。古典落語「高津の富」や「高倉狐」「崇徳院」の舞台としても知られ、江戸時代から町人文化の中心地として賑わいを見せていました。

境内の施設

高津宮の境内にはさまざまな建造物や記念碑が配置されており、訪れる人々に歴史と文化を感じさせます。

本殿

昭和36年(1961年)に再建された本殿は、神社の中心的な建造物であり、多くの参拝者が訪れる場所です。

仁徳庭園

2002年(平成14年)に造られた庭園で、落ち着いた雰囲気の中で四季折々の風景を楽しむことができます。

高津の富亭

境内の参集殿「高津の富亭」では、落語の寄席や文楽が行われ、古くから大坂の芸能文化を支えてきた場所です。五代目桂文枝一門が関わる寄席も開催され、2006年には桂文枝の石碑も建立されています。

神輿庫

宝暦年間(1751~1764年)より戦火を免れて現存する貴重な建物です。入り口の向拝の天井には瓦製の龍がとぐろを巻いています。大神輿2基、小神輿2基を格納しています。

絵馬堂

絵馬が奉納されている場所です。

摂末社:境内にある他の神社

比売古曽神社:高津宮の地主神

延喜式神名帳に記載のある古社で、高津宮の地主神として祀られています。豊臣秀吉による高津宮の遷座の際に、現在の場所に共に遷されました。

高倉稲荷神社:商売繁盛と芸能の神

宇賀御魂神を祀り、農業、衣食住、商工業、芸能等の神として信仰されています。春の初午の日には初午祭が行われ、上方落語「高津の富」にちなんだ富くじが行われます。国立文楽劇場の楽屋入口には高倉稲荷の神棚があり、出演者がお祈りするのが習慣となっています。

安井稲荷神社:安産の神

道頓堀の開発者の一人である安井九兵衛の屋敷にあった稲荷社で、大正元年(1912年)に高津宮境内に遷されました。安産の神として信仰されています。

谷末社:崖の下に鎮座する三社

谷末社には陰陽石があり、子孫繁栄・商売繁盛の対象として崇拝されています。

桜まつり

昭和30年代に社殿が再建された際、当時の宮司らが境内や隣接する高津公園にソメイヨシノなどの桜を約100本植えました。この桜は毎年3月下旬から4月上旬に満開を迎え、桜まつりが開催され多くの花見客が訪れます。

高津宮を題材とした作品

高津宮は歴史的な題材として、数多くの絵画や文学作品にも登場しています。江戸時代の「浪花百景」では里の家芳瀧が描いた高津宮の姿が紹介されています。

アクセス情報

高津宮へのアクセスは非常に便利です。公共交通機関を利用する場合、以下の最寄りバス停や駅からのアクセスが可能です。

最寄りバス停

最寄り駅

高津宮は、長い歴史と豊かな文化を持つ神社であり、大阪市内における重要な信仰の場所です。地元の人々だけでなく、観光客も多く訪れ、歴史的な建造物や文化行事を楽しむことができます。毎年春には桜まつりが行われ、境内を彩る桜の美しさが訪れる人々を魅了しています。高津宮は、大阪の歴史と伝統を感じることができる貴重な場所です。

Information

名称
高津宮
(こうづぐう)

心斎橋・難波・天王寺

大阪府