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靱公園

(うつぼ こうえん)

大阪の中心に広がる緑豊かなオアシス

靱公園は、大阪府大阪市西区靱本町に位置する都市公園(総合公園)です。四つ橋筋からあみだ池筋にかけて東西に細長く広がり、中央を縦断する「なにわ筋」によって東園と西園に分かれています。都会の喧騒を忘れ、自然の中でゆったりとした時間を過ごせる場所として、多くの市民や観光客に親しまれています。

靱公園の見どころと施設

ケヤキ並木と文学碑

東園にはケヤキ並木が続いており、散歩やジョギングに適したコースとなっています。また、園内には小説家梶井基次郎の文学碑があり、代表作『檸檬』の一節が刻まれています(1981年建立)。

楠永神社と神木

公園の中央部には、なにわ筋沿いに楠永神社があります。大きなクスノキが特徴的で、この木は「神木」として大切にされています。飛行場建設の際に伐採しようとしたところ、けが人やブルドーザーの故障が相次ぎ、お祓いの際に白い蛇が現れたため、「神木として残すべき」と判断されました。

靱テニスセンター

靱テニスセンターには、ハードコート16面が整備されており、センターコート(5000人収容)やサブセンターコート(500人収容)が設置されています。ここでは、世界スーパージュニアテニス選手権大会など、国際的な大会も行われます。

靱公園の歴史:市場から飛行場、そして公園へ

靱公園の敷地は、かつての<strong>靱塩干魚市場</strong>の跡地です。この市場は全国から干物や干鰯などを集めており、肥料にも使用されていました。しかし、1931年の大阪市中央卸売市場の開場後、市場は閉鎖されました。その後、1945年の大阪大空襲により、この地域は焼け野原となりました。

戦後の占領と靱飛行場の設置

戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、四つ橋筋からあみだ池筋までの京町堀川と海部堀川に挟まれた区域を接収し、占領軍用の飛行場である靱飛行場を設置しました。飛行場の敷地は1952年に大阪市へ返還され、その後、戦災復興土地区画整理事業の一環として1955年に靱公園が開園されました。

東園と西園の区分と整備

1959年には「なにわ筋」が敷設され、靱公園は東園西園に分かれるようになりました。東園にはケヤキ並木が整備され、靱庭球場が1953年に開設されました。西園には靱蹴球場が設けられ、サッカーやスポーツイベントが行われていました。

バラ園とテニス施設

靱庭球場と全日本テニス選手権

靱庭球場は1954年から1983年まで、全日本テニス選手権の会場として使用されました。1994年頃には靱蹴球場が取り壊され、代替として鶴見緑地球技場が開設されました。1995年には、西園に靱テニスセンターが新設され、国内外の大会が開催されています。

バラ園の整備と屋外イベント

2006年には「第14回世界バラ会議大阪大会」に向けて、東園のバラ園が改修されました。靱庭球場のセンターコートは取り壊され、バラ園の一部となりました。現在では、バラ園では屋外結婚式も行われ、多くの人々が訪れる憩いの場所となっています。

年間イベントと周辺施設

定例イベント

アクセス情報

Osaka Metro四つ橋線:本町駅、肥後橋駅

中央線・千日前線:阿波座駅

京阪中之島線:中之島駅、渡辺橋駅

まとめ

靱公園は歴史と自然が融合した都市のオアシスとして、多くの市民や観光客に愛されています。バラ園やケヤキ並木、テニスセンターなど、多彩な施設が整備されており、季節ごとのイベントも魅力的です。都会の喧騒から離れ、自然を感じながらゆったりとした時間を過ごせる靱公園に、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
靱公園
(うつぼ こうえん)

心斎橋・難波・天王寺

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