大阪府 » 大阪市 » 心斎橋・難波・天王寺

真宗大谷派 難波別院(南御堂)

(しんしゅう おおたには なんば べついん みなみみどう)

都会の静寂、東本願寺の別院

大阪市中央区久太郎町に位置する真宗大谷派難波別院は、東本願寺を本山とする真宗大谷派の重要な寺院です。「南御堂」の通称で広く親しまれ、大阪の中心部にありながら静かで厳かな雰囲気を保っています。

難波別院は、真宗大谷派の大阪教区教務所や教化センターが併設され、大阪府堺市堺区櫛屋町東4丁にある真宗大谷派堺別院(堺南御坊)を支院としています。

この別院の名称「難波」は、かつての摂津国西成郡上難波村の旧地に由来し、周辺は市街化の進展に伴い、上難波町や上難波北之町といった町名が存在していました。南御堂は御堂筋沿いに位置し、御堂筋の名称も北御堂(本願寺津村別院)と南御堂の門前を結ぶ道であることに由来しています。

歴史

真宗大谷派難波別院の歴史は、1595年の文禄4年に豊臣秀吉から寺地の寄進を受けたことに始まります。教如が大阪市中央区道修町に大谷本願寺を開創し、翌1596年には「大谷本願寺 文禄丙申五暦」と刻まれた梵鐘が鋳造されました。

移転と再建の歴史

1598年の慶長3年、大坂城三の丸の造営とともに、船場の街区が拡張され、大谷本願寺も現在の地に移転しました。しかし、1602年に徳川家康より京都に寺地が寄進されると、大谷本願寺は京都烏丸六条に移り、東本願寺として新たな歴史を歩むことになりました。その跡地に難波御堂が設けられ、現在に至ります。

本堂の変遷

1714年の正徳4年には、壮大な二重屋根の本堂が完成し、現在の東本願寺御影堂はこの難波御堂の本堂を参考にしたとされています。しかし、1945年の大阪大空襲で全焼し、1960年には鉄筋コンクリート構造で再建され、再び二重屋根の様式を取り入れた新しい本堂が誕生しました。

南御堂ビルとその再開発

2016年に御堂会館が閉館し、建物の老朽化や耐震性の問題が指摘されました。その後、御堂会館・教化センターを解体し、新たな複合施設としての再開発が進められました。2019年に完成した南御堂ビルには、5階から17階にかけて大阪エクセルホテル東急が入居し、また御堂会館も北側3-4階部分に再び開館しています。日本初の山門一体型のホテルとして注目を集めています。

境内

真宗大谷派難波別院の境内は、東を御堂筋、南を北久宝寺町通、西を渡辺筋、北を北久太郎町通(現・中央大通西行き)に囲まれた範囲に位置します。現在では、南御堂が南寄りに、H型のツインビルである大阪センタービル(北棟)・大阪御堂筋ビル(南棟)が北側に建っています。かつてこの地には大谷女学校(現・東大谷高等学校)も所在していました。

主要施設

文化財

難波別院には大阪市指定の有形文化財として、大谷本願寺時代の「大谷本願寺 文禄丙申五暦」銘の梵鐘が残されており、その歴史的価値が認められています。梵鐘は藤原家次によって鋳造されたもので、長い歴史の中で多くの人々の祈りを見守り続けています。

アクセス

真宗大谷派難波別院へのアクセスは非常に便利です。最寄りの駅は大阪メトロの本町駅で、御堂筋線・中央線・四つ橋線のいずれかを利用できます。8号出口から南へ200メートル、または13号出口から南へ50メートルの距離にあります。

真宗大谷派難波別院は、長い歴史と文化を伝える貴重な場所であり、都市部にありながら静かで厳かな雰囲気を保っています。大阪観光や歴史に触れる旅の際には、ぜひ一度訪れてみてください。

Information

名称
真宗大谷派 難波別院(南御堂)
(しんしゅう おおたには なんば べついん みなみみどう)

心斎橋・難波・天王寺

大阪府