正圓寺の歴史
天慶2年(939年)に創建
正圓寺の創建は天慶2年(939年)に遡ります。光道和尚によって開基され、当時は現在の場所から東に約500メートル離れた般若山阿部寺の一坊として建立されました。しかし、元禄時代(1688年から1703年)に義道見明和尚が現在の地に移転し、海照山正圓寺と改称しました。
本尊の大聖歓喜双身天王
正圓寺の本尊である木彫の大聖歓喜双身天王は、日本最大のものとして知られています。この仏像は、慈覚大師円仁によって一木彫像されたものであり、その壮大な姿は訪れる人々に深い感動を与えます。
大相撲との関わり
正圓寺は1989年から2002年まで、大相撲春場所開催時には鳴戸部屋(現在の田子ノ浦部屋)の宿舎として使用されていました。これは寺院が地域社会や日本文化において重要な役割を果たしていることを示しています。
境内の見どころ
奥之院と鎮守堂
正圓寺の境内には、奥之院と呼ばれる鎮守の神を祀る場所があります。鎮守堂には荼枳尼天が祀られており、訪れる人々の願いを聞き入れてくださるとされています。また、境内には八本松竜王を祀る寄松塚、石切社分祠、浪切不動明王、弁才天祠などが点在し、それぞれに由緒あるご利益があるとされています。
兼好法師の遺跡
境内の東側には「兼好法師の藁打石」や「兼好法師隠棲庵跡」の碑が建っています。兼好法師は南北朝時代にこの地に隠棲し、清貧な生活を送りながら悟りを求めたとされています。このような歴史的背景が、正圓寺の持つ文化的価値を一層高めています。
大阪五低山と聖天山
大阪五低山の一つ
正圓寺は、別名「聖天山正圓寺」とも呼ばれていますが、これは標高14メートルの「聖天山」という低山の名前によるものです。この山は「大阪五低山」の一つに数えられ、他の低山には天保山、御勝山、荼臼山、帝塚山があります。
聖天山古墳としての歴史
聖天山は、実は古墳であることが分かっており、歴史的な価値も兼ね備えた場所です。正圓寺を訪れる際には、この低山に登り、その歴史的な風情を感じることができるでしょう。
境内の施設と仏像
ぼけ封じ地蔵尊
正圓寺には、ぼけ封じにご利益があるとされる地蔵尊が祀られています。多くの参拝者が訪れ、家族の健康と長寿を祈願しています。
男坂・女坂と山門
境内には男坂と女坂があり、それを登り切ると山門に到達します。山門の鬼瓦は邪気を睨み、お帰りの際には笑顔で参拝者を送り出してくれます。
荼枳尼天を祀る稲荷神社
境内の一角には荼枳尼天を祀る稲荷神社があり、多くの参拝者が訪れてはそのご利益を求めています。
弁才天祠と宝篋印塔
境内には日本三大弁天の一つである厳島弁天を合祀した弁才天祠や、仏典が納められた宝篋印塔があり、それぞれ現世利益や健康長寿を祈願することができます。
正圓寺の交通アクセス
最寄り駅からのアクセス
正圓寺へのアクセスは、阪堺電気軌道阪堺線の北天下茶屋停留場から徒歩3分、または聖天坂停留場から徒歩7分です。また、南海電気鉄道本線・高野線、および大阪市高速電気軌道堺筋線の天下茶屋駅からも徒歩10分でアクセス可能です。
駐車スペースの案内
寺院の東門前には無料の駐車スペースも設けられており、自家用車でのアクセスも便利です。
正圓寺の精神的な教え
「ありがとうの貯金」
正圓寺では、感謝の気持ちを持つことの大切さを教えています。特に「ありがとう」という言葉には言霊が宿っているとされ、多くの感謝を積み重ねることで、将来の幸せを引き寄せるとされています。正圓寺は、訪れる人々が「ありがとうの貯金」をすることを勧め、感謝の気持ちを持って日々を過ごすことの大切さを伝えています。