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法善寺(千日寺)

(ほうぜんじ)

水掛不動と静寂の空間

大阪府大阪市中央区難波に位置する法善寺は、浄土宗の寺院として、また大阪ミナミの歴史と文化を象徴する場所として、多くの人々に親しまれています。山号は「天龍山」、本尊は「阿弥陀如来」です。千日念仏を行ったことで「千日寺」とも呼ばれ、周辺の地名「千日前」の由来ともなっています。特に、全身が苔に覆われた「水掛不動」は、法善寺を代表する名所として知られています。

水掛不動

法善寺の名物である「水掛不動」は、不動明王の像に水をかけて祈願することで知られ、日々多くの人々が訪れては願いを込めて水をかけます。時の経過と共に像は苔で覆われていて、独特の苔むした姿が特徴的です。境内はひっそりとした雰囲気が漂い、心を落ち着けてお参りできる場所です。

歴史

創建と移転

法善寺は、元々山城国宇治郡北山村に創建されましたが、寛永14年(1637年)に現在の地へ移転しました。この移転には、金比羅天王の故事が影響したとされています。また、別説では、大阪市天王寺区上本町8丁目から現在地へ移転し、その後寛永21年(1644年)より千日念仏回向が行われたと言われています。

江戸時代の再建

法善寺はこれまでに度重なる火災を経験しています。文政2年(1828年)に焼失した際は、澄誉によって再建されましたが、嘉永5年(1852年)にも火災で再び焼失し、安政2年(1855年)には見誉が再建しています。

戦後の復興

1945年(昭和20年)の大阪大空襲で法善寺は再び焼失しましたが、水掛不動明王のみが焼け残りました。戦後の復興が進む中で、法善寺は浄土宗の長圓寺と縁を結び、長圓寺を法善寺別院としました。これにより、本尊である阿弥陀如来を長圓寺に移し、本堂の再建を目指しました。1960年(昭和35年)には金毘羅堂や庫裡が再建され、少しずつかつての姿を取り戻していきました。

法善寺横丁

法善寺横丁は、法善寺の北側にある細い通りです。かつては境内の一部であり、「法善寺裏」や「法善寺露地」とも呼ばれていました。昭和初期に、小説『夫婦善哉』や『法善寺横丁』に登場したことで有名となり、現在の名称である「法善寺横丁」が定着しました。

ガス爆発事故と再建

2002年9月9日、法善寺横丁に隣接する旧中座の解体工事中にガス爆発事故が発生し、19店舗が焼失する被害を受けました。法規制によって元の形での再建が危ぶまれましたが、周囲の支援もあって2004年3月までに営業を再開することができました。このエリアは、今でもレトロな雰囲気が残り、多くの飲食店が立ち並ぶ人気の観光スポットです。

交通アクセス

法善寺へのアクセスも非常に便利です。

最寄バス停

大阪シティバス 73号系統「戎橋」バス停が最寄りです。

最寄駅

地下鉄なんば駅(御堂筋線・千日前線)や、大阪難波駅(近鉄難波線・阪神なんば線)が最寄り駅となっています。駅からのアクセスが良く、観光途中に立ち寄りやすいスポットです。

周辺情報と関連項目

千日前と法善寺

法善寺が由来となって命名された千日前は、難波エリアの繁華街の中心としても有名です。ショッピングやグルメを楽しめるエリアとして多くの人々で賑わっており、観光や商業施設が集まるエリアでもあります。

夫婦善哉と法善寺

法善寺は、小説『夫婦善哉』の舞台としても知られています。この小説は昭和初期に発表され、法善寺横丁の名を全国に広めるきっかけとなりました。現在でも、法善寺横丁にある「夫婦善哉」の名を冠した店には、多くの観光客が訪れています。

まとめ

法善寺は、大阪市中央区に位置する歴史ある寺院で、観光スポットとしても知られる「水掛不動」や「法善寺横丁」が特徴です。度重なる火災や戦災を乗り越え、地域と共に歩んできたこの寺院は、千日前エリアのシンボルとして、多くの人々に親しまれています。参拝者はもちろん、観光客も気軽に訪れやすい場所で、心を静めるとともに、大阪の歴史と文化に触れることができます。

アクセスの良さと、周辺の賑やかな雰囲気から、ぜひ大阪観光の一環として法善寺とその周辺を訪れてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
法善寺(千日寺)
(ほうぜんじ)

心斎橋・難波・天王寺

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