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本願寺 津村別院(北御堂)

(ほんがんじ つむら べついん きたみどう)

大阪の中心に位置する西本願寺の別院

大阪市中央区本町に位置する本願寺津村別院は、浄土真宗本願寺派の寺院であり、本山西本願寺の別院です。山号は「龍谷山」、本尊は阿弥陀如来で、「北御堂(きたみどう)」の通称で広く親しまれています。大阪の中心部にありながら、歴史と文化を感じさせる静謐な空間を提供しています。

本願寺津村別院は大阪市中心部に位置し、御堂筋と本町通、渡辺筋、備後町通に囲まれた場所にあります。敷地内には本堂をはじめ、歴史的建造物やミュージアム、相愛大学本町キャンパスなども併設されており、地元と深い関わりを持つ施設です。「津村」の名は、古代摂津国西成郡の郷名で、入り江のあった地「円江(つぶらえ)」に由来しています。

境内の見どころ

本堂

現在の本堂は1964年に再建され、鉄筋コンクリート構造の4階建てで、宝形造の屋根を持つ壮大な建物です。1階は寺務所、2階は津村ホール、3階は書院、4階には本尊阿弥陀如来を祀る本堂が設けられています。2012年から2013年にかけて修復が行われました。

親鸞聖人像と蓮如上人像

津村別院には、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の像や、蓮如上人の像が祀られています。これらの像は、参拝者にとって重要なシンボルであり、訪れる人々に信仰の歴史を伝えています。

北御堂ミュージアム

北御堂ミュージアムは2019年に開館した展示施設で、山門の1階部分にあります。ここでは、大坂本願寺と本願寺津村別院の歴史や、地域との関わりが紹介されています。大阪の仏教文化を学べる貴重な場所として多くの人々に親しまれています。

相愛大学本町キャンパスと相愛中学校・高等学校

津村別院の南西には、相愛大学本町キャンパスおよび相愛中学校・高等学校が隣接しています。1888年に設立された相愛女学校が前身であり、現在も教育機関として地域に貢献しています。

本願寺津村別院の歴史

創建と発展

津村別院は、かつて大阪天満にあった天満本願寺が京都に移った後、1592年に大坂の門徒たちが現在の中央区天満橋京町に集会所を設けたことに始まります。その後、1597年に津村に移転し、「津村御坊」として本格的に活動を開始しました。

江戸時代の発展

江戸時代には、津村御坊は本堂や書院、鐘楼、山門などを備えた大寺院へと成長しました。1655年には朝鮮通信使の宿舎として使用され、約800人が宿泊した記録があります。このような外交的な役割も果たしつつ、津村別院は改築や拡張を重ね、地域とともに発展してきました。

明治から大正時代にかけて

明治時代初期には津村別院が大坂鎮台や明治天皇の行在所として使用され、また大阪府病院も一時的に設置されました。1876年には「津村御坊」から「津村別院」へと改称され、大阪の商業の拠点としても重要な役割を果たしました。1888年には、津村別院境内に相愛女学校(現・相愛大学本町キャンパス及び相愛中学校・高等学校)が設立され、教育施設としての機能も担っています。

昭和時代の変遷

昭和に入り、御堂筋の拡張工事や地下鉄御堂筋線の建設に伴い、境内地の一部が売却されました。さらに、太平洋戦争中の大阪大空襲で境内の建物が全焼しましたが、戦後に再建が進み、1964年には鉄筋コンクリート構造の本堂が完成しました。

平成・令和時代の再整備

平成に入ってからも施設の整備が行われ、2012年には本堂の修理が実施されました。2019年には「北御堂ミュージアム」が山門の下に開館し、津村別院と大阪の歴史や宗教的な関わりを紹介する展示が行われています。

大阪市指定有形文化財

本願寺津村別院には、大阪市指定の有形文化財である木造阿弥陀如来立像が所蔵されています。この像は浄土真宗の信仰の象徴として大切にされ、訪れる人々に仏教の教えと安らぎを提供しています。

アクセス情報

本願寺津村別院は、OsakaMetro御堂筋線、中央線、四つ橋線の本町駅A階段2番出口からすぐの場所に位置し、交通の便が非常に良好です。周辺には商業施設やオフィスビルも多く、観光や参拝の際に訪れやすい立地となっています。

本願寺津村別院は、大阪市内で長い歴史を持つ浄土真宗本願寺派の寺院です。その壮大な本堂や歴史的な文化財、地域との深い関わりが、多くの人々に愛される理由となっています。また、北御堂ミュージアムや相愛大学とのつながりを通じて、教育や文化の発展にも寄与しており、今なお多くの参拝者や観光客に感銘を与えています。ぜひ、歴史と文化に触れながら心静かな時間をお過ごしください。

Information

名称
本願寺 津村別院(北御堂)
(ほんがんじ つむら べついん きたみどう)

心斎橋・難波・天王寺

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