歴史
赤手拭稲荷神社の創建年は不詳ですが、その由来に関する伝承が伝えられています。昔、堺の魚屋「源三」という人物が、荷物を頻繁に狐に盗まれて困っていました。そこで、源三は祠の前に紅染の手拭いを供え、「これ以上、狐に荷物を取られないように」と祈願したことが、この神社の名前の由来とされています。この祈願が叶ったため、「赤手拭稲荷」の名で呼ばれるようになったと言われています。
戦災と再建
1945年(昭和20年)の大阪大空襲では、社殿が焼失するという大きな被害を受けました。しかし、ご神体は無事であり、その後、1948年(昭和23年)に現在の本殿が再建されました。この戦争の苦難を乗り越えて復興した神社は、今も地域の守り神として多くの参拝者に愛されています。
文化との関わり
赤手拭稲荷神社は、上方落語「ぞろぞろ」の舞台としても知られ、文化的な魅力も備えています。落語の舞台に登場することで、さらに多くの人々にその名が広まり、今も大阪の伝統とともに息づいています。
祭神
赤手拭稲荷神社では、以下の五柱の神々が祀られています。
- 豊受媛神(とようけひめのかみ) - 農耕や食物を司る神。
- 天宇受売神(あめのうずめのかみ) - 踊りの神として知られ、芸能の守護神。
- 大山祇大神(おおやまつみのおおかみ) - 山や自然の神。
- 猿田彦神(さるたひこのかみ) - 道案内や交通安全の神。
- 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) - 五穀豊穣を司る神。
祠前に供えられた紅染の手拭い
この神社の特徴的な由来として、紅染の手拭いを祠に供えた故事があります。これは、狐に困らされていた魚屋が祈願の証として供えたものであり、この出来事が赤手拭稲荷という名称に繋がりました。現在でも、この手拭いにまつわるエピソードは、神社の大切な象徴として伝えられています。
交通アクセス
赤手拭稲荷神社は、Osaka Metro千日前線「桜川駅」から徒歩約5分の場所に位置しています。都心部からもアクセスが良く、多くの参拝者が気軽に訪れることができます。
まとめ
赤手拭稲荷神社は、祈願の手拭いに由来する独自の歴史を持ち、戦災を乗り越えて復興した神社です。また、上方落語の舞台としても知られ、大阪の文化や伝統の一端を担っています。五柱の神々が祀られるこの神社は、農耕、芸能、交通安全など多くの分野にご利益があるとされています。地域の人々に愛され続け、訪れる人々の願いを静かに見守る神社として、これからもその存在を輝かせることでしょう。