全興寺の歴史:聖徳太子開基の伝承と平野の発展
全興寺の起源は飛鳥時代にまで遡ります。伝承によれば、聖徳太子がこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置したことが全興寺の始まりとされています。寺の名前の由来については諸説ありますが、この地域が「杭全荘」と呼ばれていたことに関連し、「杭全を興す寺」から「全興寺」と名付けられたという説があります。薬師堂が建てられた後、人々がこの地に住み始め、町が形成され、これが後の平野郷となりました。平安時代にはこの地の領主だった坂上田村麻呂の子である坂上広野が名前の由来とされ、「ひろの」が転化して「ひらの」となったと言われています。
中世には、平野は藤原氏の荘園となり、応仁の乱以降は戦乱から逃れるため、豪商たちが環濠を築き、堺と並ぶ環濠都市として発展しました。全興寺は戦国時代や大坂夏の陣を経ても、その歴史的な価値を維持し、再建されてきました。本堂は天正4年(1576年)に建造され、大坂夏の陣で部分的に焼失しましたが、1661年に再建されました。現在でもこの本堂は大阪府内でも有数の古い木造建築として知られています。
平野の町づくりを考える会の活動
1980年に南海平野線の廃線を契機に、住職の川口良仁氏は「平野の町づくりを考える会」を発足しました。この会の目的は、地域の歴史や文化を生かした町づくりを推進することであり、平野町ぐるみ博物館の開館をはじめとした様々な活動が展開されてきました。住民が館主となり、地域の文化財や個人的な収集品を公開することで、地域の再発見や愛着を深める取り組みが行われています。
平野町ぐるみ博物館では、常設館や年に一度の特別展示館があり、全興寺もその一部として、「小さな駄菓子屋さん博物館」や「平野の音博物館」が常設されています。これらの博物館は、地域の歴史や文化を守り伝える場として、訪れる人々に楽しみを提供しています。
全興寺の見どころ
本堂
全興寺の本堂は1576年に建てられたもので、本尊の薬師如来像が安置されています。薬師如来像は秘仏であり、年に2回、1月8日と中秋の十五夜にのみ開帳されます。伝説によれば、真田幸村が大阪夏の陣で地蔵堂に地雷を仕掛け、徳川家康の命を狙ったものの、家康は難を逃れたという話があります。その際、地雷によって飛ばされた地蔵の首が全興寺に安置されています。
地獄堂
全興寺の「地獄堂」は、地獄の世界をリアルに再現した施設で、地獄の恐怖を体験することができます。中に入ると、閻魔大王や巨大な鬼の像が配置されており、ドラを叩くと閻魔大王が話し始め、地獄の様子が映し出されます。入り口では、訪問者が10問の質問に答えることで、自分が地獄行きか極楽行きかをチェックするコーナーが設けられています。この体験を通じて、「悪いことをせず、命を大切にする」というメッセージが伝えられます。
地獄堂は1989年に設立され、当時の住職が社会問題化していたいじめや自殺を何とか防ぎたいとの思いから、地獄の恐ろしさを体感することで、悪行を戒める施設として改装されました。施設内は暗く、恐怖心を煽る雰囲気ですが、最後には閻魔大王が命の大切さを教える場面が用意されています。
ほとけのくに
「ほとけのくに」は全興寺の地下に広がる静かな空間で、多くの石仏に囲まれた神秘的な空間です。四国八十八箇所霊場から採取された砂を納めた手すりが設けられた階段を下りると、曼荼羅のデザインが施されたステンドグラスが床に敷かれており、その上で瞑想することができます。周囲には真言宗の開祖である弘法大師像や、四国八十八箇所の本尊を模した石仏が約160体配置されており、訪れる人々が静かに祈りを捧げる姿が見られます。
小さな駄菓子屋さん博物館
全興寺には「小さな駄菓子屋さん博物館」という、昔懐かしい駄菓子屋を再現した展示施設があります。1993年に寺の蔵を改修してオープンし、住職が子どもの頃に集めた駄菓子やおもちゃのコレクションが展示されています。展示物には昭和20年代から30年代にかけての駄菓子の外箱やブリキのおもちゃ、ビー玉などが含まれており、訪れる人々に昔の懐かしさを提供しています。また、旧式のパチンコ台も設置されており、実際に遊ぶことができます。
町ぐるみ博物館のその他の施設
平野の音博物館
全興寺の一角には「平野の音博物館」という、古い電話機を使って平野のさまざまな音を楽しめる施設があります。だんじり祭りの音や廃線になった路面電車の音、さらには昔の定食屋の音など、さまざまな音を受話器を通じて聴くことができます。この施設は「大阪の音風景」としても認定されています。
おも路地
「おも路地」は、地域住民が世代を超えて交流できる場として作られた空間です。ここでは昔ながらの遊びを体験することができ、特に週末には「みちくさ学校」や「あそび縁日」といったイベントが開催され、ベーゴマやメンコ、手毬などの遊びを楽しむことができます。これにより、子どもたちはコミュニケーションを学びながら楽しい時間を過ごすことができます。
全興寺の文化的意義
全興寺は、ただの宗教施設としてだけでなく、地域社会に根ざした町おこしの中心地として機能しています。地域住民が集まり、世代を超えて交流する場を提供し、また、昔の文化や遊びを後世に伝える役割も果たしています。特に、「地獄堂」や「小さな駄菓子屋さん博物館」など、ユニークな施設は大阪の観光名所としても広く知られ、訪れる人々に多様な体験を提供しています。
あそび縁日
全興寺では毎週末に「あそび縁日」が開催され、子どもたちは昔の遊びを通じて、仲間との交流を深めることができます。ベーゴマや紙芝居など、昭和の時代に人気を博した遊びが再現されており、子どもから大人まで楽しめるイベントとなっています。特に、住職自らが紙芝居師として参加するなど、地域との密接なつながりが感じられる場となっています。
バイゴマ練習会
毎月第2日曜日には「バイゴマ」の練習会が開催されており、誰でも参加可能です。このベーゴマは平安時代に京都で始まった遊びで、現代でもその魅力を引き継ぎながら楽しむことができます。年に1度、大会も開催されており、寺で販売されているバイゴマを使用して本格的なコマ遊びを楽しむことができます。
まとめ
全興寺は、その長い歴史と多彩な施設により、多くの人々に親しまれている寺院です。地獄堂や駄菓子屋博物館など、ユニークな見どころが揃っており、訪れる人々を楽しませるだけでなく、地域の歴史や文化を深く学ぶ場ともなっています。訪れる際には、ぜひこれらの施設をゆっくりと巡り、全興寺の魅力を堪能してください。