概要と歴史
この神社の祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)という「造化三神」です。「サムハラ」はこれら三神を総称した名称とされています。また、岡山県津山市には奥の院も存在します。
創建の経緯
サムハラ神社の創建は、1935年(昭和10年)、岡山県出身の田中富三郎によるものでした。しかし、翌年には岡山県からの撤去命令を受け、一度解散を余儀なくされます。戦後、1946年に祠が再建され、1950年には大阪中之島の豊国神社の隣に神社が建立されました。さらに、1961年に現在の西区立売堀へ遷宮されました。
建立者・田中富三郎の生涯
田中富三郎(1868年-1967年)は、万年筆業界の先駆者であり、「田中大元堂」を経営する傍ら、教育への貢献も行いました。彼はサムハラの神を信仰し、戦争時にお守りを兵士たちに配布するなど、社会への奉仕活動に尽力しました。100歳まで生き、神社境内には彼の胸像が残されています。
主な祭礼
サムハラ神社では、年間を通じてさまざまな祭礼が行われます。
- 元旦祭(1月1日)
- 歳旦祭(1月3日)
- 節分祭(2月2日〜4日)
- 春季大祭(4月22日・23日)
- 秋季大祭(10月22日・23日)
- 大祓式(6月30日・12月31日)
- 月初祭(毎月1日)
- 月次祭(毎月23日)
サムハラの霊験と伝説
サムハラの文字は「𪮷抬𪮷𪮇」という特別な神字であり、身を守る力があるとされています。古くから武将や人々の守護札として信仰され、多くの伝説が残されています。
伝説の逸話
加藤清正が文禄・慶長の役の際に武器にサムハラの文字を刻んで戦場での危機を免れた話や、江戸時代にサムハラの札を持っていた人々が事故から無事に助かったとする逸話も伝わっています。
サムハラ神社のお守りとトラブル
この神社では「御神環(ごしんかん)」と呼ばれる指輪型のお守りが授与されていましたが、希少価値が高いためにインターネットでの転売が相次ぎ、参拝者が殺到する事態になりました。そのため、現在では御神環の授与は中止されています。
関連施設:平野町護符所
大阪市中央区平野町には、サムハラ神社の宗教法人による収益事業部「平野町護符所」が設けられています。ここでは、お札やお守りなどの授与品が展示・販売されています。
信仰の言葉と哲学
田中富三郎は「信仰は万益有って一害なし」という信念を持ち、毎朝欠かさず参拝を行いました。彼のこの精神は、サムハラ神社を訪れる人々にも引き継がれています。
サムハラの語源についての説
「サムハラ」という言葉については、いくつかの語源が考えられています。一説にはサンスクリット語の「saṃvara(サンバラ)」に由来するという説や、古朝鮮語の「サム(生きる)」「ハラ(しなさい)」から「生きなさい」という意味であるとする説があります。