歴史
中之島での創建
豊國神社の創建は1868年(明治元年閏4月)に遡ります。この年、明治天皇の指示により、豊臣秀吉を祀る神社として「豊國神社」の建立が大阪裁判所(現大阪府)に指示されました。しかし、大阪城が陸軍省の所管であったため、神社を建てることができず、北区中之島の現在の大阪市中央公会堂付近に鎮座することとなりました。
その後、1879年(明治12年)には社殿が完成し、正遷宮祭が行われました。豊國神社は京都の豊国神社の大阪別社としての位置づけでしたが、1921年(大正10年)に独立し、府社へと昇格しました。この際、京都の「とよくに」との違いを示すために「ほうこく」という読みが採用されました。
大阪城への移転
1921年(大正10年)に大阪市庁舎が隣接する場所に移転した後、1935年頃より市庁舎の増築のため、神社の移転が検討されるようになりました。しかし、太平洋戦争の影響で計画は一時中断されました。
戦後、大阪市から再度移転の要望が出され、1956年(昭和31年)に大阪城の二の丸への移転が正式に決定されました。1961年(昭和36年)1月、現在の中央区大阪城に遷座し、かつての社殿は豊中市の服部住吉神社に移築されました。
秀吉像の復元
2007年(平成19年)4月17日、彫刻家中村晋也によって豊臣秀吉像が復元されました。この像は1943年(昭和18年)に金属供出により失われていたもので、約64年ぶりの復元となりました。
豊國神社の構成
祭神
豊國神社の主祭神は、以下の三柱の神々です。
- 豊臣秀吉公
- 豊臣秀頼公
- 豊臣秀長卿
境内の施設
境内には様々な施設があり、参拝者の目を楽しませます。
主な施設
- 表鳥居 - 豊國神社の象徴的な鳥居
- 拝殿 - 神社の中心である拝殿
- 本殿 - 神々が祀られている本殿
- 幣殿 - 神事に使われる建物
特別な神社と庭園
- 白玉神社 - 宇迦御魂神を祀る神社で、かつては白玉稲荷神社と呼ばれた
- 若永神社 - 淀屋の屋敷内に祀られていた宇迦御魂神を移したもの
- 七夕神社 - 稚日女尊、宇迦之御霊神を祀る神社
- 秀石庭 - 重森三玲が1972年に作庭した石庭で、「秀吉」の「秀」と「石山」から名づけられました
文化財
豊國神社は重要な文化財も所蔵しています。
- 国指定特別史跡 - 大阪城跡は国、大阪市、豊國神社で構成されています
- 重要美術品 - 「紙本著色 豊臣秀吉像」や「秀頼筆の神号」など
主な神事
太閤祭
毎年8月18日に、豊臣秀吉の命日に行われる「太閤祭」が開催されます。この祭りでは、秀吉の偉業を称え、慰霊を行います。慶長3年(1598年)旧暦8月18日に亡くなった秀吉に敬意を表し、特別な儀式が執り行われます。
表記の違いについて
豊國神社にはいくつかの表記があり、使用する字体により以下のように分かれています。
- 豊国神社 - 大阪市が使用する新字体の表記
- 豐國神社 - 歴史的な表記で旧字体
- 豊國神社 - 新旧混用表記で、神社自身が使用
アクセス情報
豊國神社へのアクセスは非常に便利です。以下の交通手段を利用して訪れることができます。
- JR大阪環状線 - 森ノ宮駅から徒歩圏内
- Osaka Metro - 中央線・長堀鶴見緑地線の森ノ宮駅、中央線・谷町線の谷町四丁目駅、長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅が最寄りです
- 大阪シティバス - 馬場町バス停・大手前バス停が便利です
- 大阪城ロードトレイン - 桜門前停留所で下車するとすぐそばにあります
豊國神社は、大阪市の観光地の一つとして訪れる価値がある場所で、歴史的な意義や豊臣家に関する多くのエピソードを知ることができます。大阪観光の際には、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。