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浪速神社

(なにわ じんじゃ)

浪速神社は、大阪市浪速区浪速西に位置する神社で、坐摩神社の境外末社です。そのため、主祭神や儀礼が本社と深く関連しています。

祭神

浪速神社では、以下の神々を祀っています。

歴史

浪速神社は、本社である坐摩神社の五柱の神を坐摩大神として祀り、渡辺氏の一部が移住してきた際に境外末社として建立されました。また、浪速神社では、住民の生活を守護する神としての役割も持っています。

昭和20年の大阪大空襲の犠牲者を追悼するため、昭和52年(1977年)に神社前の公園に供養塔が建てられました。さらに、無縁仏の供養のため、昭和60年(1985年)には五輪塔も建立されています。

境内の様子

主な祭事

所在地とアクセス

住所: 大阪府大阪市浪速区浪速西3丁目10-23

アクセス:

坐摩神社

坐摩神社(いかすりじんじゃ、ざまじんじゃ)は、大阪市中央区久太郎町にある古社で、摂津国一宮を称します。その神紋は「白鷺」であり、地域では「ざまさん」の愛称でも親しまれています。

祭神

以下の5柱の神々を総称して「坐摩神」と呼び、住居守護や旅行安全、安産の神として信仰されています。

神社の歴史

坐摩神社は、神功皇后が三韓征伐からの帰還時に淀川河口で花を奉じたことが創建の由来とされています。摂津国の一宮として『万葉集』にも記されており、難波津を通る防人たちが旅の安全を祈る場でもありました。

かつての渡辺津の地に守護神として鎮座していましたが、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、現在の船場の地に遷座されました。この神社の周辺では、古着屋が繁盛し、やがて百貨店「そごう」の前身となる商店も創業するなど、地域の発展に寄与しました。

明治以降の歴史

明治時代に入ると、神社は府社に列し、1936年には官幣中社に昇格しました。戦後、1948年には神社本庁の別表神社に加列され、1960年に鉄筋コンクリート造りの社殿が再建されました。

2011年には、初代桂文治が寄席を開いた故事にちなみ、境内に「上方落語寄席発祥の地」の顕彰石碑が建立されました。

陶器神社とその影響

坐摩神社の末社である陶器神社の影響で、西横堀川沿いには陶器問屋が立ち並び、地域の経済活動が活発化しました。現在でも「陶器祭り」が行われ、多くの人々に親しまれています。

まとめ

浪速神社と坐摩神社は、大阪の歴史と地域社会に深く根ざした神社です。両神社は住民や旅人の守護神としての役割を果たし、地域文化の発展にも貢献してきました。特に浪速神社の夏祭りや、坐摩神社の陶器祭りは、多くの参拝者に愛され、今もその伝統が受け継がれています。

Information

名称
浪速神社
(なにわ じんじゃ)

心斎橋・難波・天王寺

大阪府