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八軒家船着場

(はちけんや ふなつきば)

水都大阪の歴史を今に伝える水辺の拠点

大阪府大阪市中央区天満橋京町・北浜東に位置する八軒家浜船着場は、かつて水運の要衝として栄えた歴史的な場所です。八軒家浜(はちけんやはま)とも呼ばれるこの地は、現在では水都大阪を象徴する観光スポットとして、多くの人々に親しまれています。

歴史:水運の要衝としての隆盛と変遷

平安時代には、現在の天満橋と天神橋の間にある上町台地の西麓で「渡辺津(わたなべのつ)」と呼ばれる港が形成されました。渡辺津は摂津国の政治的中心地として栄え、四天王寺、住吉大社、高野山、熊野三山への参詣道である熊野街道の起点でもありました。ここは「大江」「国府津」「窪津」などと呼ばれ、海と陸の交通の要所として重要な役割を果たしていました。

しかし、時代が進むにつれ大阪平野の形成や河口の移動、都の移転などの影響で外港としての役割は次第に縮小していきました。それでも、この地には寄港地としての機能が引き続き残され、江戸時代には再び大いに賑わうことになります。

八軒家浜の発展

江戸時代、八軒家浜は8軒の船宿が並んでいたことからその名がつけられ、京都の伏見と大阪を結ぶ「三十石船(さんじっこくぶね)」の発着地として栄えました。この「三十石船」は淀川舟運の重要な拠点であり、当時の大阪と京都を繋ぐ水運の要衝でした。また、八軒家浜の風景は数多くの文芸作品や美術作品に描かれ、『東海道中膝栗毛』や浪花百景の「八軒屋夕景」などがその一例です。

舟運の衰退と明治時代の変化

明治時代に入ると、船による運搬は次第に衰退していきます。1911年には大阪市電の今橋天満橋筋線が土佐堀通に敷設され、さらに1923年から1944年の間には熊野街道との交点に「八軒家停留場」が設置されましたが、これも戦後には廃止され、八軒家浜の姿は変わりゆく都市の中で姿を消していきました。

現在の八軒家浜船着場と「川の駅」

2008年3月29日、大阪市は「水都大阪の再生の拠点」として、観光用岸壁である「八軒家浜船着場」を中央区天満橋京町に開設しました。さらに、2009年8月1日には「『川の駅』はちけんや」が中央区北浜東にオープンし、観光船案内所や情報発信スペース、レストランを備え、多くの観光客に利用されています。

現在の施設の特徴

八軒家浜船着場は、当時の賑わいを彷彿とさせるべく設置され、観光地としても人気を集めています。岸壁には同時に3隻の船が着岸でき、大阪水上バスや遊覧観光船、屋形船などが発着するなど、現在も水上交通の拠点として機能しています。また、大川沿いには天神橋まで続く遊歩道も整備され、散策にも適した環境が整えられています。

アクセス情報

八軒家浜船着場は、天満橋駅に隣接しており、鉄道やバスなどでアクセスしやすい場所に位置しています。

鉄道でのアクセス

天満橋駅(京阪本線・中之島線/地下鉄谷町線)から直結しており、便利に利用することが可能です。

バスでのアクセス

「天満橋」バス停も近くにあり、大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の10号系統・21号系統・31号系統・46号系統・62号系統が利用可能です。また、定期観光バス『OSAKA SKY VISTA』(近鉄バス)はこのバス停で降車のみ可能で、乗車はJR大阪駅高速バスターミナルで行われています。

かつての八軒家船着場が、観光地として復活し、水都大阪の一つの拠点として人々を魅了し続けている姿は、歴史と現代が交差する興味深い場所です。水上交通の歴史を学びながら、大阪の風景を楽しめる八軒家浜船着場は、歴史ファンや観光客にとってもおすすめのスポットとなっています。

Information

名称
八軒家船着場
(はちけんや ふなつきば)

心斎橋・難波・天王寺

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