歴史
この神社の起源は古く、神功皇后が三韓征伐から帰国した際、住吉大社から敷津の浜に向かう途中に荒波に見舞われたことから始まります。皇后は渚に松の木を3本植え、「ここより潮が満ちないように」と祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったと伝えられています。
また、摂社の大国主神社は、延享元年(1744年)に神託を受け、出雲大社の神を勧請して建立されました。今宮戎神社と並び、大阪市内から多くの参拝者が訪れ、特に甲子の日には賑わいを見せます。さらに、道頓堀川に架かる「大黒橋」も、当社への参道として整備された由来を持ちます。
地域との関わり
境内には、木津川や現在の浪速区・大正区周辺の開発に尽力した木津勘助(中村勘助)の像が建てられています。木津村が大阪市に編入された際、神社に由来する「木津大国町」と勘助にちなむ「木津勘助町」という町名も誕生しました。これらの町名は1980年(昭和55年)まで使用され、地域の歴史と文化に深く根付いています。
祭神
敷津松之宮では、以下の神々が祀られています。
- 主祭神 - 素盞嗚尊、大国主命
- 相殿神 - 事代主命、奇稲田姫命、少彦名命、八柱御子神
境内の施設
- 本殿
- 拝殿
- 日出大国社(大国主神社) - 祭神:大国主命。本殿とは別の大国主命が祀られ、「日出大国神」とも呼ばれることがあります。この社は国道26号線に面しており、参拝者には特に目立つ存在です。
- 楠稲荷社 - 祭神:宇迦之御魂神
- 白龍明神社(巳さん)
- 社務所
- 木津勘助の像
境外社
- 敷津松之宮西成旅所 - 西成区松2丁目にあります。
大阪七福神と参拝ルート
敷津松之宮は、大阪七福神の一つである大黒天を祀る神社として知られ、南海沿線七福神の一社にも含まれています。参拝者は、他の七福神を巡る旅の一環としても訪れます。
交通アクセス
敷津松之宮へのアクセスは便利で、大阪市高速電気軌道御堂筋線・四つ橋線の大国町駅から徒歩でアクセスできます。地名と同じ「大国町」という駅名も、この神社に由来するものです。
まとめ
敷津松之宮とその摂社である大国主神社は、大阪市の歴史と地域文化に深く関わっており、今も多くの人々に親しまれています。神社の歴史は古く、神功皇后の伝承や木津勘助の功績など、多くのエピソードが詰まっています。大阪七福神の一社として、また地域の発展に寄与してきた神社として、今後も多くの参拝者に愛され続けるでしょう。