歴史
寺伝によると、願泉寺は推古天皇11年(603年)に、小野妹子の八男・多嘉麿義持(法名:永証)によって創建されました。開基当時の寺名は「無量寿寺」で、場所も現在の位置から数百メートル北西にありました。しかし、応仁の乱で焼失し、永正4年(1507年)に現在の場所に再建されました。
その後、鎌倉時代には天台宗に属していましたが、浄土真宗本願寺派の蓮如(1415年~1499年)に帰依し、浄土真宗へ改宗します。天正10年(1582年)には兵火で焼失しましたが、慶長2年(1597年)に再建され、准如から「本願」の一字を受け、現在の「願泉寺」という寺号に改められました。
豊臣秀吉と千利休との関係
願泉寺の住職・定龍(31代目住職)は、茶の湯で有名な千利休の門下生としても知られ、豊臣秀吉からも厚遇を受けました。また、仙台藩主・伊達政宗も定龍の弟子となり、その縁で政宗は帰国時に寺に客殿と茶室を寄進しました。
戦災と再建
昭和12年(1937年)、伊達政宗が寄進した建物は国宝に指定されていましたが、1945年の大阪大空襲で焼失してしまいます。その後、20坪ほどの仮堂を建てて復興の第一歩を踏み出し、4年かけて本堂、客殿、表門、そして土塀を再建しました。現在もこれらの建造物は境内に残り、往時の面影を伝えています。
府指定名勝「相阿弥の庭園」
願泉寺の境内には、京都の庭師・相阿弥によって作庭された枯山水の庭園があります。この庭園は昭和13年(1938年)に大阪府の名勝に指定されました。100坪ほどの広さを誇り、四季折々の花々で彩られます。初夏のサツキや秋の紅葉が美しく、訪れる人々に安らぎと静寂の時間を提供しています。
庭園の特徴と魅力
この庭園は、戦災を免れた希少な文化財であり、大阪市の中心部に位置しながらも、周囲の喧騒を忘れさせる静かな空間です。庭園に隣接する茶室「相應庵」は、400年以上の歴史を持ち、現代とは異なるゆったりとした時間の流れを感じられる場所です。
文化財とその他の見どころ
- 府指定名勝: 相阿弥の庭園
- 紙本墨書六字名号: 伝蓮如筆
- 折口信夫の墓所: 歴史的文学者の墓所も境内に所在
所在地と交通アクセス
所在地: 大阪市浪速区大国二丁目2-27
- Osaka Metro御堂筋線「大国町駅」から徒歩数分
- JR「今宮駅」から徒歩圏内
- 大阪シティバス「敷津西2丁目停留所」より徒歩
まとめ
願泉寺は、長い歴史と豊かな文化を持つ浄土真宗の寺院です。豊臣秀吉や千利休、伊達政宗との縁を持ち、戦争の試練を乗り越えて再建されてきたその姿は、多くの人々に感銘を与えています。特に名勝「相阿弥の庭園」は大阪の名所として知られ、四季折々の風景が訪れる人々を魅了します。忙しい日常から離れ、歴史と自然に包まれた安らぎの時間を楽しみたい方に、ぜひ訪れていただきたい場所です。