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藤田美術館

(ふじた びじゅつかん)

絵画、書跡、陶磁器、彫刻など東洋古美術の宝庫

藤田美術館は、大阪市都島区に位置し、東洋古美術を中心とする登録博物館です。2022年にリニューアルオープンしました。国宝や重要文化財を含む、絵画、書跡、陶磁器、彫刻、漆工、金工、染織、考古資料など幅広い分野の骨董品を所蔵しています。

藤田美術館の歴史と概要

創設の背景と創設者

藤田美術館のコレクションは、実業家で男爵であった藤田伝三郎(1841年 - 1912年)とその家族の収集品を中心としています。伝三郎は明治時代の関西財界を代表する人物で、「藤田組」を設立し、西南戦争で得た巨利をもとに骨董品の収集にも情熱を注ぎました。

美術館は、戦後の混乱の中、日本銀行の担保として一時押収されるも、藤田鉱業常務の小川栄一の尽力により散逸を免れ、1951年に財団法人として設立されました。1954年5月に美術館として正式に開館し、2013年に公益財団法人へと移行しました。

リニューアルと再開

長らく展示スペースの不足が指摘されていた藤田美術館は、2017年から全面建て替え工事を行い、2022年4月1日に新たな施設として再オープンしました。新しい美術館は、旧施設の蔵の扉や木材を再利用しながら、空調や耐震設備を強化。これにより、展示替えのための休館が不要となり、年末年始(12/29~1/5)を除く通年開館が可能になりました。

藤田邸跡公園と庭園の魅力

藤田邸跡の歴史と庭園

藤田美術館の敷地は、かつて藤田家本邸(網島御殿)があった場所に位置します。この邸宅は明治末期、大工棟梁・今井平七の指揮のもとに建てられ、関西で最大級の和風邸宅として知られていました。邸内には30を超える茶室があり、藤田家の財力と文化的な趣味を象徴する場所でした。

しかし、1945年の大阪大空襲で多くの建物が焼失し、現在では太閤園・淀川邸と一部の門のみが現存しています。邸宅跡の庭園は、戦後の長期間の放置を経てJR東西線の建設工事時に再整備され、現在は藤田邸跡公園として一般公開されています。

公園の特徴と利用案内

藤田邸跡公園は、滝のある庭園など自然を生かした美しい景観が魅力です。隣接する桜之宮公園とは異なり、夕方以降は閉門され、夜間の入園はできません。公園と美術館の間にあった塀も撤去され、自由に往来できるようになりました。

所蔵品の魅力と指定文化財

収蔵品は仏教美術、絵画、彫刻、陶磁器、工芸品、古筆、考古資料など多岐にわたり、その中でも国宝や重要文化財に指定された作品が多数存在します。

国宝

重要文化財

仏画・垂迹画
彫刻

特に注目すべき作品として、快慶作の「木造地蔵菩薩立像」が挙げられます。その細やかな彫刻技術は見る人を魅了します。

陶磁器

その他の注目すべき収蔵品

美術館では、以下のようなジャンルの作品も所蔵されています。

『心中天網島』との関わり

藤田家本邸の場所には、かつて大長寺が存在していました。この寺は近松門左衛門の人形浄瑠璃『心中天網島』に登場する小春と治兵衛の心中の舞台として知られています。大長寺は現在、都島区中野町2丁目に移転し、二人を供養する比翼塚も同時に移されました。そのため、物語の舞台は現在の藤田美術館と藤田邸跡公園の敷地内にあたります。

『心中天網島』について

『心中天網島』は1720年(享保5年)に竹本座で初演された近松門左衛門の世話物三段作です。 愛と義理の葛藤を描いたこの作品は、日本文学の名作とされています。

あらすじ

紙屋治兵衛は、妻おさんと2人の子供を持ちながら、遊女小春に恋をします。 小春との関係を断ち切れず、ついに二人は心中を決意します。 様々な困難を経て、最終的に二人は大長寺で命を絶つことで俗世を離れます。

アクセス情報

鉄道

バス

道路

周辺観光スポット

まとめ

藤田美術館は、藤田家の豊かな文化的遺産と東洋美術の名品を集めた貴重な場所です。リニューアルによって快適な環境で多くの展示が行われるようになり、若い世代にも開かれた施設となっています。また、藤田邸跡公園との連携により、美術と自然を同時に楽しめる点も魅力の一つです。大阪を訪れる際には、ぜひ藤田美術館を訪れて、歴史と美術の奥深さに触れてみてください。

Information

名称
藤田美術館
(ふじた びじゅつかん)

梅田・新大阪

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