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寂光寺(江口君堂)

(じゃっこうじ えぐちのきみどう)

寂光寺は、大阪市東淀川区南江口にある日蓮宗の寺院(尼寺)で、正式には「宝林山 普賢院 寂光寺」と称されます。山号は寶林山で、本尊は「十界大曼荼羅」です。また、寺院は「江口君堂」としても知られ、江口の君(妙女)と西行法師の有名な歌問答にゆかりがあります。元は天台宗でしたが、後に日蓮宗に改宗されました。

歴史的背景と創建の経緯

平安・鎌倉時代の繁栄

寂光寺の創建は、元久2年(1205年)に平資盛の娘とされる「江口の君」によるものと伝えられています。当時、この江口の地は京都との水運の要衝として栄え、多くの遊女が集まり、著名な公卿たちも訪れたとされています。そのため、寺は「江口君堂」とも呼ばれ、人々の信仰を集めました。

焼失と再建

元弘の乱や延元の乱によって寺は焼失しましたが、後に再建されます。正徳年間(1711年 - 1716年)に普門比尼が再建した際に、天台宗から日蓮宗に改宗されました。寺には、焼失を免れた普賢菩薩像があり、信仰の対象として人々から崇敬を受けました。

西行法師との歌問答

江口の君(妙女)と西行法師との歌問答は、『新古今和歌集』に記されている有名なエピソードです。

西行の歌

旅の途中で江口の里を訪れた西行が宿を借りようとした際、遊女に断られたことに対し、次の歌を詠みました。

「世の中を厭ふまでこそ難からめ かりのやどりを惜しむ君かな」

妙女の返歌

それに対して、妙女は次のように返しました。

「世を厭ふ人とし聞けば かりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」

この問答から、妙女は仏門に帰依し、後に「妙前光相比丘尼」となったと伝えられています。

境内の見どころ

寂光寺には、歴史的な建造物や文化財が多数残されています。

本堂

正徳年間(1711年 - 1716年)に再建された本堂は、日蓮宗の特徴を感じさせる荘厳な建物です。

鐘楼

鐘楼には「江口の鐘」と呼ばれる鐘があり、江口の君にまつわる伝承が込められています。

供養塚と歌碑

境内には、西行法師と妙女の供養塚および歌碑があり、二人の歌問答を後世に伝えています。

君塚・西行塚

江口の君と西行法師の足跡を残す「君塚」や「西行塚」も訪れる人々の心に深い印象を与えます。

文化財

アクセス情報

寂光寺へのアクセスは以下の通りです。

まとめ

寂光寺は、その歴史と文化、そして西行法師と妙女の歌問答を通じて、訪れる人々に深い感銘を与えます。静かな境内を散策しながら、平安時代から続く物語に思いを馳せるのも一興です。

Information

名称
寂光寺(江口君堂)
(じゃっこうじ えぐちのきみどう)

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