概要
西淡路高射砲台は、旧日本軍が1940年代に大阪市東淀川区西淡路地区に建設した防空陣地です。扇形に配置された6基の高射砲台と、それらを統括する指揮所から成り立ちました。建設当初は「国次高射砲陣地」と呼ばれており、主に大阪市の防空を目的として機能していました。
位置と構造
高射砲台は円弧状に6基が配置され、その中央部には二階建ての指揮所が設置されていました。砲台および指揮所の建設には鉄筋コンクリート(RC)構造が採用されており、戦時中の空襲にも耐えうる堅固な作りでした。
西淡路高射砲台の歴史
建設と運用
- 1942年(昭和17年): 高射砲4門が設置され、基本的な陣地が形成されました。
- 1944年(昭和19年): 高床式砲台の建設が開始され、防空機能の強化が図られました。
- 1945年(昭和20年)6月: 鉄筋コンクリート製の6基の高射砲台と二階建ての指揮所が完成し、本格的な運用が始まりました。
この陣地には、約150~200名が所属する「陸軍第十五方面軍高射第三師団第一二二連隊第一大隊第一中隊」が駐屯していました。主に大阪市への空襲に対する防衛活動を行っていたとされています。
戦後の転用と解体
終戦後、陣地の一部は住宅地や工場に転用されました。特に西端の六番砲台は一階部分の壁が撤去され、鉄工所として再利用されていた例があります。しかし、時代の流れと共に多くの砲台が解体されていきました。
- 1989年(平成元年): 東側の一番砲台と二番砲台が解体。
- 2012年(平成24年): 四番砲台と五番砲台が解体。
- 2019年(平成31年)2月: 六番砲台が解体。
- 2019年(令和元年)11月: 三番砲台が解体。
- 2024年(令和6年)5月: 最後に残っていた指揮所が解体され、全ての砲台が消失しました。
交通アクセス
西淡路高射砲台跡へ訪れる場合、以下の交通手段が便利です。
- 大阪シティバス「西淡路5丁目」バス停下車。「新大阪駅東口」から「東淀川区役所前」行き11番系統のバスが利用可能です。
- JR京都線「東淀川駅」から徒歩約5分。
まとめ
西淡路高射砲台跡は、戦争の爪痕を残しながらもその後の時代に応じた利用がされてきた場所です。住宅地や工場として再活用された一方で、長い年月を経て全ての砲台や指揮所が解体され、現在ではその痕跡を辿ることは困難になりました。しかし、この場所は戦争と平和の両面を語る重要な遺構として、歴史的な意義を持ち続けています。
東淀川区や大阪市内を訪れた際には、かつての高射砲台跡の歴史に思いを馳せるのも良いかもしれません。