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西淡路 高射砲台跡

(にしあわじ こうしゃ ほうだい あと)

西淡路高射砲台跡は、大阪府大阪市東淀川区西淡路にかつて存在した旧日本陸軍の高射砲台陣地の跡地です。第二次世界大戦中の防空設備として建設され、戦後に住宅地や産業施設へと転用されました。

概要

西淡路高射砲台は、旧日本軍が1940年代に大阪市東淀川区西淡路地区に建設した防空陣地です。扇形に配置された6基の高射砲台と、それらを統括する指揮所から成り立ちました。建設当初は「国次高射砲陣地」と呼ばれており、主に大阪市の防空を目的として機能していました。

位置と構造

高射砲台は円弧状に6基が配置され、その中央部には二階建ての指揮所が設置されていました。砲台および指揮所の建設には鉄筋コンクリート(RC)構造が採用されており、戦時中の空襲にも耐えうる堅固な作りでした。

西淡路高射砲台の歴史

建設と運用

この陣地には、約150~200名が所属する「陸軍第十五方面軍高射第三師団第一二二連隊第一大隊第一中隊」が駐屯していました。主に大阪市への空襲に対する防衛活動を行っていたとされています。

戦後の転用と解体

終戦後、陣地の一部は住宅地や工場に転用されました。特に西端の六番砲台は一階部分の壁が撤去され、鉄工所として再利用されていた例があります。しかし、時代の流れと共に多くの砲台が解体されていきました。

交通アクセス

西淡路高射砲台跡へ訪れる場合、以下の交通手段が便利です。

まとめ

西淡路高射砲台跡は、戦争の爪痕を残しながらもその後の時代に応じた利用がされてきた場所です。住宅地や工場として再活用された一方で、長い年月を経て全ての砲台や指揮所が解体され、現在ではその痕跡を辿ることは困難になりました。しかし、この場所は戦争と平和の両面を語る重要な遺構として、歴史的な意義を持ち続けています。

東淀川区や大阪市内を訪れた際には、かつての高射砲台跡の歴史に思いを馳せるのも良いかもしれません。

Information

名称
西淡路 高射砲台跡
(にしあわじ こうしゃ ほうだい あと)

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