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旧淀川

(きゅう よどがわ)

大阪の歴史と水運を物語る河川

旧淀川は、大阪市を流れる川で、かつて淀川本流だったものが1907年(明治40年)の放水路開削以降、「旧淀川」と呼ばれるようになりました。旧淀川は、上流から「大川(おおかわ)」や「堂島川(どうじまがわ)」、「安治川(あじがわ)」といった区間ごとに異なる名称が付けられています。

旧淀川の地理的な特徴

旧淀川は、都島区毛馬町で新淀川から分岐し、大阪市の中心部を通って大阪湾へと注いでいます。その途中でさまざまな河川と合流・分岐しながら、市街地に独特の水辺景観を生み出しています。

主要な河川の区分

歴史的背景

旧淀川は、かつて淀川の本流でしたが、洪水対策として1907年に淀川放水路が開削され、現在の新淀川が本流となりました。その後、淀川と旧淀川の呼び分けが一般的になり、地域住民や行政により各区間ごとに異なる名前が定着しました。

河川と都市の変化

堂島川沿いでは、1878年(明治11年)に堂島掘割が開削され、都市の発展とともに活用されてきましたが、1950年代から1960年代にかけて多くの掘割が埋め立てられ、現在の高速道路や市街地開発に転用されています。

旧淀川流域の名所と景観

旧淀川は大阪市内の観光名所や歴史的な建造物と密接に関わっています。

代表的な景観とスポット

旧淀川における水運と工業の発展

安治川や木津川といった旧淀川の分流は、江戸時代から明治時代にかけて、大阪の商業と工業の発展に重要な役割を果たしました。特に、港湾エリアである天保山周辺では輸出入貨物の拠点として機能していましたが、1970年代以降のコンテナ化に伴い、南港がその役割を引き継ぎました。

失われた河川とその影響

旧淀川とその周辺には、多くの掘割や支流が存在しましたが、交通渋滞の解消や水質改善のため、戦後の高度経済成長期に多くが埋め立てられました。代表的なものには、曽根崎川西横堀川などがあり、現在は一部の跡地が公園や高速道路として再利用されています。

現在も残る河川とその役割

旧淀川に関連する河川の中には、現在も市民生活や観光に利用されているものがあります。

残存する河川の例

観光と地域行事

旧淀川周辺は、都市の中心部を流れる河川として、地域行事や観光にも重要な役割を果たしています。特に夏の天神祭では、多くの船が旧淀川を渡り、華やかな祭りが開催されます。また、安治川や天保山周辺では、USJへの観光船も運航され、多くの観光客で賑わいます。

旧淀川周辺の主なイベント

まとめ

旧淀川は、かつての淀川本流から派生し、大阪市の発展とともにその形を変えながら現代に至ります。埋め立てられた河川も多い一方で、現在も残る河川は市民の生活や観光資源として活用されています。旧淀川の流域は、歴史的な背景や現代の都市計画が交差する場所として、大阪の魅力を支えています。

Information

名称
旧淀川
(きゅう よどがわ)

梅田・新大阪

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