神社の歴史
社伝によれば、玉造稲荷神社は垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は「比売社」と呼ばれていました。蘇我氏と物部氏の戦いの際には、聖徳太子が戦勝を祈願し、戦勝後に観音堂を建てたとされています。
豊臣家の時代には、大坂城三の丸の鎮守社とされ、豊臣秀頼が社殿の再建を行いました。しかし、大坂夏の陣で焼失し、その後江戸時代に再建されました。江戸幕府の大坂城代であった内藤信正らの寄進により、再び社殿が復興し、以後は徳川時代にも大坂城の鎮守社として重要視され続けました。
また、伊勢参りの出発点としても有名で、多くの参拝者が訪れる場所となっていました。明治時代には府社に列せられ、戦後の1954年に現在の社殿が再建されています。
神社の祭神
玉造稲荷神社の主祭神は、穀物の神として知られる宇迦之御魂大神です。また、相殿には下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命が祀られています。
境内の見どころ
境内には本殿や拝殿があり、これらは1954年に再建されたものです。また、以下のような見どころが多く存在します。
白龍池
白龍池には、かつて白龍観音が出現したことがあり、これにより弁才天が祀られていました。神仏分離により現在は市杵嶋姫神が祭神として祀られ、雨乞いの神として信仰されています。
万慶稲荷神社
享保年間(1716年 - 1736年)に、大坂城内の各所に祀られていた稲荷社が一社に合祀され、玉造稲荷神社境内に祀られています。稲荷神として宇迦之御魂大神が祭神です。
新山稲荷神社
寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が城代屋敷内に分霊を祀ったものです。1907年に玉造稲荷神社境内に遷座されました。
胞衣塚大明神
豊臣秀頼の胞衣を祀る塚で、当初は大坂城三の丸の地に祀られていました。子供の夜泣きに効果があるとされ、多くの参拝者が訪れます。
豊臣家奉納鳥居
慶長8年(1603年)、豊臣秀頼が社殿再建時に奉納した石鳥居です。阪神・淡路大震災の影響で損傷を受けたため、現在は境内に分解して安置されています。
豊臣秀頼公銅像
2011年10月13日に建立された銅像で、豊臣秀頼公の功績を称えています。
利休井
千利休がこの地に屋敷を構えていたことに由来し、2006年に設置されました。
難波・玉造資料館
1986年に玉造稲荷神社の創祀二千年を記念して設立された資料館で、地域の歴史や神社の文化を学べます。
交通アクセス
最寄駅: 大阪環状線または地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅から徒歩約6分(南西へ約500m)
玉造稲荷神社は、大阪市の歴史と深く結びついた神社であり、長い歴史の中で数々の変遷を経てきました。豊臣秀頼による再建や、豊臣家と徳川家の篤い信仰を受けた歴史は、訪れる人々に大阪の歴史の奥深さを感じさせます。境内には、歴史的な遺物や建物が多く存在し、大阪の観光地としても人気のスポットです。ぜひ一度訪れ、その歴史と雰囲気を体感してみてください。