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ピースおおさか(大阪国際平和センター)

(おおさか こくさい へいわ)

大阪国際平和センター(愛称:ピースおおさか)は、大阪市中央区の大阪城公園内に位置する戦争と平和に関する調査研究および展示を行う施設です。施設は公益財団法人大阪国際平和センターによって運営されています。

施設の概要

大阪国際平和センターは、1989年(平成元年)に大阪府と大阪市が出資し、1991年(平成3年)に開館しました。戦争で甚大な被害を受けた大阪市が、戦争の悲惨さと平和の重要性を後世に伝えるために設立したこの施設は、大阪大空襲をはじめとする50回以上の無差別爆撃の記録を保存しています。

設立の背景

第二次世界大戦中、大阪市は何度もアメリカ軍による空襲に見舞われ、多くの建物や生活が失われました。この施設は、その痛ましい歴史を未来の世代へと伝え、戦争がもたらす悲劇と平和の大切さを理解してもらうために設立されました。

展示内容

展示室には、大阪に投下された1トン爆弾の模型や、戦時中の写真、満州事変から太平洋戦争終結までの歴史的資料が展示されています。また、戦争と原爆、アウシュビッツ収容所に関する展示も行われており、戦争がもたらす人間の苦悩と残酷さを伝える内容となっています。

来場者数

開館から2014年8月までに188万人以上の人々が訪れており、訪問者の多くは学校の課外授業などで訪れる小中学生で占められています。この施設は、若い世代に戦争の真実と平和の意義を学ぶ場として活用されています。

朝鮮コーナーにおける誤展示と撤去

2011年10月28日、展示の一部である朝鮮コーナーに誤った写真が掲載されていたことが指摘されました。大阪維新の会(当時)に所属する府議が「間違いではないか」と指摘したことをきっかけに調査が行われ、解説文と一致しない写真が4枚あることが判明し、すぐに撤去されました。

誤展示の内容

誤って展示されていた写真には、戦前朝鮮に建設された水豊ダムの作業現場を撮影した写真や、1926年の新聞に掲載された写真が含まれていました。それらの写真は、日本に連行された朝鮮人労働者の姿として展示されていたものでした。また、1932年に撮影された写真2枚も「鉄道工事場での朝鮮人虐殺」として展示されていましたが、事実とは異なるものであると判明しました。

解説文の修正

解説文には「昭和14年以降、労働力不足を補うため、朝鮮人を強制的に日本に連行して労働に従事させた」と記されていましたが、展示を企画した担当者は既に他界しており、どのような経緯で誤った写真が選ばれたのかは不明とされています。この誤りは1991年の開館時から20年以上にわたり続いていたものです。

組織と運営

大阪国際平和センターは、多くの理事や評議員によって管理されています。

代表者

代表理事として京極務氏が務め、業務執行理事には片山靖隆氏、理事には飯田明子、田中宏和、三ツ石浩幸、村尾尚太郎の各氏が就任しています。また、評議員には江島芳孝、島本貞文、大長庸祐、西浦博久、山幡一雄、山本晋次の各氏が名を連ねています(2021年6月15日現在)。

所在地と開館情報

所在地:大阪市中央区大阪城2番1号
開館時間:午前9時30分~午後5時
休館日:月曜日、国民の祝日の翌日、年末年始、毎月月末
交通アクセス:JR大阪環状線、地下鉄中央線、地下鉄長堀鶴見緑地線の森ノ宮駅から徒歩5分

施設へのアクセス

大阪国際平和センターは、大阪城公園内にあり、アクセスも便利です。JR大阪環状線や地下鉄中央線、地下鉄長堀鶴見緑地線の森ノ宮駅から徒歩約5分で到着できます。大阪城を訪れる観光客にとって、歴史と平和について学ぶ絶好の機会となっています。

大阪国際平和センターの意義

この施設は、大阪市が戦争で受けた大きな被害を記録することを目的として設立されました。特に大阪大空襲に代表される悲劇的な出来事を通じて、戦争の惨禍と平和の重要性を来場者に伝えています。展示は未来の世代に戦争の悲惨さを理解してもらうだけでなく、平和を守るための意識を高める場として貢献しています。

まとめ

大阪国際平和センターは、戦争と平和に関する歴史的な記録を未来に伝える貴重な施設です。戦争で受けた大阪の被害を広く伝え、平和の大切さを学ぶ場として多くの人々に利用されています。特に小中学生が課外授業で訪れることが多く、教育的な役割も果たしています。大阪城公園を訪れる際には、ぜひ一度立ち寄り、大阪と日本、そして世界の平和について考える機会としていただければ幸いです。

Information

名称
ピースおおさか(大阪国際平和センター)
(おおさか こくさい へいわ)

心斎橋・難波・天王寺

大阪府