施設概要
「くすりの道修町資料館」は、江戸時代の薬種業者による文書や、明治時代以降の資料、薬草、昭和40年代から50年代のポスター、プレミアム商品などを所蔵しています。また、2013年4月には展示内容を一新し、より充実した内容で訪れる人々に薬に関する知識を提供しています。
常設展示
常設展示では、昔の「置き薬」に関する薬袋や薬種業者が使用していた道具、薬種中買仲間人数帳、入札箱、算盤などが展示されています。これらの展示は、当時の薬業の仕組みを理解する上で重要な役割を果たしています。
テーマ展示
テーマ展示では、生薬や家庭薬に関する知識を深めることができ、薬の原料や家庭薬の成り立ちについて学べます。
道修町ゆかりの人々
道修町にゆかりのある歴史的人物についても展示があり、たとえば劇作家の菊田一夫が薬種問屋に奉公した経験を生かして執筆した作品『がしんたれ』についてのエピソードが紹介されています。
道修町が「くすりの町」と呼ばれる由来
道修町が「くすりの町」として知られるようになったのは、寛永年間に堺の商人・小西吉右衛門が薬種屋を開いたことが始まりです。その後、1722年(享保7年)には、124軒の薬種業者が江戸幕府から公認を受け、薬の価格を決めて全国に販売することが認められました。
薬種業者の役割
当時は、中国から輸入された唐薬種や国内で採れる和薬種の品質を見極めるため、専門知識を持つ薬種業者の検査が不可欠でした。こうした背景から、薬種業者の存在は薬の品質を保つために重要な役割を果たしていました。
コレラ流行時の薬の寄付
1822年(文政5年)には、大阪でコレラが流行した際、道修町の薬種業者が「虎頭殺鬼雄黄圓」という疫病除けの薬を配合し、祈祷後に無料で配布しました。この丸薬に大きな効能が期待され、庶民の健康を守るために尽力しました。この出来事が「張り子の虎」のお守りの由来となっています。
近代以降の薬業の発展
明治時代に入り、西洋医学が広まり始めると、薬種業者も西洋医学の勉強を始めました。こうした取り組みが、現在の大阪大学薬学部や大阪薬科大学の礎となり、道修町は日本を代表する製薬企業が集まる地域として発展を遂げました。
沿革
「くすりの道修町資料館」は1997年(平成9年)10月に開館し、地域の薬業の歴史や文化を広める役割を果たしています。
少彦名神社
少彦名神社は、大阪市中央区道修町に位置する神社で、別名「道修町の神農さん」として親しまれています。この神社は薬業、健康祈願、商売繁盛の神徳を持つ神として信仰を集めています。
祭神
主祭神は「少彦名命」と「神農炎帝」で、特に薬や医療に関するご利益があるとされています。また、医薬業に関わる人々や健康を願う参拝者、さらにはペットの病気平癒を祈願する参拝者にも信仰されています。
歴史
少彦名神社は、1780年(安永9年)に薬業の安全と繁栄を願うために創建されました。1837年の大塩平八郎の乱によって一度焼失しましたが、その後再建され、神社としての伝統を守り続けてきました。1910年(明治43年)には社殿が再建され、1945年の大阪大空襲も無事に乗り越えました。
式年大祭
1980年には「鎮座200年」を記念して、拝殿や本殿の修復が行われ、現在では10年に一度「式年大祭」が斎行されています。
少彦名神社の文化財
少彦名神社の本殿、幣殿、拝殿は国の登録有形文化財に指定されており、薬祖講の行事も大阪市の無形民俗文化財に指定されています。
神農祭
毎年11月22日と23日に開催される「神農祭」は、少彦名神社の代表的な祭りであり、「止めまつり」とも称されています。道修町周辺の薬局や製薬会社には祭礼提灯が掲げられ、多くの参拝者で賑わいます。
張り子の虎
神農祭で授与される「張り子の虎」は疫病除けの象徴として有名です。1822年のコレラ流行時に配布された「虎頭殺鬼雄黄圓」の丸薬が功を奏したことから、その象徴として「張り子の虎」が用いられるようになりました。五葉笹には「家内安全」「無病息災」などの祈願札が吊るされ、今でも多くの参拝者がこれを求めています。