阪神港としての役割
大阪港は、神戸港や尼崎西宮芦屋港、堺泉北港とともに「阪神港」を構成し、港則法上「特定港」に指定されています。また、大阪府から防災拠点としての役割を担う「海上輸送基地」にも指定されています。
大阪港の立地と区域
大阪港は大阪湾の最奥部に位置し、北は尼崎西宮芦屋港、南は堺泉北港と接しています。港湾区域の北端は兵庫県尼崎市との境界にある中島川、南端は堺市との境にある大和川です。主要な臨港地区は淀川以南の此花区、港区、大正区、住之江区、西区などに展開されており、港湾機能が集中しています。
大阪港の特色と発展
大阪港は、国営で建設された神戸港とは異なり、大阪市が自ら建設・運営してきた市営港湾としての伝統を持っています。1995年の阪神・淡路大震災以降は、国際海上コンテナ拠点としての重要性が増し、2022年には外貿コンテナの取り扱いが213万TEUに達し、日本国内で5位の規模となりました。
大阪港の港勢(2022年統計)
2022年の大阪港の港勢について、大阪市の公式統計から以下のようなデータが発表されています。
- 入港船舶数: 21,267隻(総トン数 101,004,174トン)
- 外航船: 4,494隻(総トン数 60,761,644トン)
- 内航船: 16,773隻(総トン数 40,242,530トン)
- 取扱貨物量: 総計8,557万トン
輸出入の内訳
輸出入の取り扱いは以下の通りです。
- 輸出: 849万トン(うちコンテナ 765万トン)
- 輸入: 2,587万トン(うちコンテナ 2,472万トン)
大阪港の歴史
河港時代から近代港へ
大阪港の歴史は6世紀頃の難波津(なにわづ)や住吉津(すみのえのつ)に遡ります。その後、平安時代には渡辺津という河港として機能しましたが、淀川の土砂の堆積により衰退しました。江戸時代には「天下の台所」として水運が発達し、大坂の市街地は経済の中心地として栄えましたが、当時はまだ海港ではなく河川による運搬が主体でした。
1683年には河村瑞賢の手によって淀川の治水と航行のために安治川が開削され、さらに1699年には木津川も開削されました。これらの改修により、大阪湾と市街地を結ぶ重要な水路が確立されました。また、1704年には大和川の付け替え工事が行われ、大阪湾への流路が整備されました。
大阪港の開港とその影響
1868年、大阪港は正式に開港しましたが、当初は外国船の寄港地としては不十分で、多くの外国商人は神戸に移りました。そのため、大阪港は一時的に国際貿易の拠点としての機能を失いましたが、その後の治水工事や港湾整備が進むにつれて、次第にその重要性を取り戻していきました。
第一次修築工事と近代港の建設
1873年、オランダ人技師のG.A.エッセルとヨハニス・デ・レーケが大阪の治水と港湾整備のために来日しました。彼らは淀川の放水路開削と新港建設を提案しましたが、財政難のため実現しませんでした。その後、1885年の大洪水を契機に淀川の改修が優先され、1890年には市民主導で天保山付近の築港調査が始まりました。
1897年、天保山での築港工事が大阪市営プロジェクトとして開始されました。このプロジェクトは、市の予算の20倍以上の費用を投じて行われた一大事業であり、これにより大阪港は本格的な近代港としての歩みを始めました。
まとめ
大阪港はその長い歴史の中で、多くの変革と発展を遂げてきました。市営港湾としての伝統を持ちながらも、国際的な海上貿易の拠点として成長を続けています。今日では、大阪市と大阪府の協力のもと、地域経済の発展と防災の拠点として重要な役割を果たしています。